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2015.01.25
自己責任論信者が絶対に言おうとしないことを公開するよ
海外の日本研究では絶対に勉強するという「日本の自己責任論」 どこがそんなに変わってるの?
フランスでもドイツでも、「自己責任論」というのは日本独特のものということで、日本研究では必ず独立した項目として授業をやるらしい。
日本での「個人主義」とかもフランスやドイツの人々からは同じように奇異に映るのではないかということです。
自分以外の「誰か」の責任のみを追求することで集団を浄化しようとする「和風個人主義」
日本の「自己責任論」はかなり研究があるようですが、米国のリバタリアニズムとはまた別のメンタリティーと規定されていると思います。
リバタリアニズムとも全く異なる日本の「自己責任論」の特殊性については、ヨーロッパで結構研究が進んでいるんではないかな。だからBBCでも即座に「人質救出へ世論の突き上げが高まることはないだろう」というコメントが出てくるんじゃないか。
自分勝手な行動をとった者への制裁のような側面が強い。
誰も責任とらない論
日本の自己責任論ってリバタリアニズムというより「他人に依存すんな、差別とかいうやつうぜー」という感情論に近い
何でも被害者が悪いのね。
日本の「自己責任」は政治的主張ではなくマゾヒズム。
出典http://togetter.com/li/772993
「自己責任」って騒ぐのは日本人だけなのか調べてみた
アメリカのパウエル国務長官は…
「『あなたはリスクを冒した、あなたのせいだ』とは言えない。彼らを安全に取り戻すためにできる、あらゆることをする義務がある」
NYタイムズ紙では…
「解放された人質三人の帰国を待っていたのは温かな抱擁ではなく、国家や市民からの冷たい視線だった」
日本の「自己責任論」は「お上意識」の派生物で、日本人は政府批判精神が希薄だと指摘した
要するに「批判するなら、政府を批判しろ」という意見
日本の一連の「自己責任バッシング」は、世界には大変奇妙に映り、事件そのもの以上に世界で報道され嘲笑の的となった。
やっぱ、日本がおかしい?
海外でも、ないわけじゃない。
・2011年、フランス人2人が人質に。
当時の大統領が「自己責任論」を展開
フランスでも「自己責任論」がなかったわけではない。サルコジ大統領は2人の行動を「無謀な行為だ」と語った
政府関係者がラジオで、2人を「スクープを追いかける素人」だと評した
政府の発言が市民の反発を買い、各地で2人を救出するためのコンサートや集まりが企画された
マスコミを中心とした各界の支援を呼び、現地でねばり強い交渉を続けた努力が実り、ついに解放を勝ち取った
2004年、イタリアでは。
イラクで武装集団に拉致されたイタリア人の女性2人が人質に。その後、解放される。
解放後、賛否両論を巻き起こす。
帰国後2人は、アメリカのイラク占領や、イタリア政権の対米協力に強烈な批判を活発に行った
助けてくれた政権を、なぜ批判?
ムダな争いで傷つく子どもを救うのが、2人の目的なのでテロ組織も、そこに攻撃を仕掛けるアメリカや祖国イタリアも許せないというスタンス。
これに、イタリア政権が激怒
イタリアの与党議員の一部から「政府にきちんと感謝すべきだ」との非難が起き、「帰国費用を払え」といった意見が出ている
保守系紙「フォリオ」では「2人は英雄扱いされるべきでない。」との論説を掲載
2003年、スイスでは。
旅行中のスイス人4人が、イスラム原理主義者とみられるグループに誘拐
身代金を支払い解放されたが
人質解放の費用については旅行保険会社からの保険金が支払われる可能性が高い。
事前に国から旅行は控えるように呼びかけられていた地域だった。
旅行会社と保険会社の間で「自己責任論」がでた。
スイスの外務省は「渡航は自己責任での判断である」として、人質に経費の一部を負担させるかは「ケースバイケース」と語った。
まとめると…
「自己責任」論は、海外でも起きてるが、市民が騒いでるという例は、見つからなかった。
いずれも政府(会社)関係者の口から出てきて、中には言いがかりと感じるケースも。
日本もある意味では、海外と同じかも
政治家の口から「自己責任」が出てきたのは同じ。保守系のメディアがそれを追随したのも、イタリアと同じ。
違うのは、それがいつの間にか一般層にまで浸透してしまったということでしょうか。
出典http://matome.naver.jp/odai/2142198095939331801
自己責任論の錯誤
このうち、「自己責任論」は2004年のイラクでの3人の人質事件以来、こういった事案のたびに、定期的に出てくるものです。今回のケースでいえば、自己責任論を叫ぶ人たちの最大公約数的な論理は、「危険を承知して自分の意志で行ったのだから、それが拘束されたからといって、政府が方針を変更するのはおかしいし、身代金を払うこともない」だと思います。
個人が自らの行為に責任を負うのは当然です。また、人質を取られるたびに方針を変更すれば、国家そのものがテロリストに乗っ取られます。したがって、既に打ち出している政策の変更はするべきではないでしょう。さらに、今回の場合、2億ドルという金額が、いかにも高すぎることも確かです。
ただし、本来、責任を追及すべき対象が、人質をとった側にあることはいうまでもありません。国内で犯罪が発生した際、「被害者にも落ち度がある」というのはよく聞く言い方ですが、それは原因の一つを指摘しているだけで、それと責任を置き換えた言い分です。その営為は「当事者みんなに責任がある」という結論に行き着きやすく、責任の所在をかえって曖昧にします。これはトラブルや問題そのものを忌避する、ムラ的発想といえるかもしれません。いずれにせよ、今回の場合、2人の日本人がシリアに赴いたことは、今回の出来事が発生した「原因」の一つですが、「だから何をされても文句をいえないはずだ」というのは、テロリストの責任を減じ、結果的にはこれを擁護することになります。
出典http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20150124-00042512/
◎まとめ
日本人の一番特徴的なことは国家レベルのことと市民レベルのことを混同しているとこだ。市民生活は自己責任が当然だが、国家レベルになると無条件に助けなければならないここを知らないのだ。
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