ブログ
2015.04.13
フィリピン国民が熱狂的に支持した真の独立
マニラ入城:昭和17年(1942)年1月2日午後2時、わが陸の精鋭はついにマニラへ突入す。翌3日、わが方は軍司令官布告をもって皇軍比島占領の意義を民衆に示し、軍政の基本方針を明らかにす。『アサヒグラフ』(1943〈昭和18〉年10月20日号)
独立確認の栄光燦(さん)として歓喜に湧く全比島民:マニラ・ルネタ広場を埋めた民衆大会を押し出した花自動車と民衆行進。『大東亜戦争画報』(第16号:1943〈昭和18〉年3月8日発行:毎日新聞社
フィリピンがアジアの中で西洋化しているように見えるのは、米国の洗脳政策が徹底していたからだそうです。
フィリピンは太平洋戦争当時、第一次国民会議においてラウレル初代大統領を満場一致で選出いたしました。
そんなフィリピン民衆1800万人悲願の独立を潰したのは米国の反攻上陸でした。
徹底した米国の洗脳政策という点でフィリピンと日本とは同様の歴史を辿ったのだと感じました。
「ひと目でわかる「アジア解放」時代の日本精神」(著者・水間政憲)を元に、一部抜粋・改変したものです。